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【DNA鑑定秘話 第3回】

皇帝ナポレオンの死因の謎に迫る!胃がんか?ヒ素による毒殺か? 

1815年、大西洋の孤島セントヘレナ島に流刑され、1821年に51歳で死亡した。

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 余の辞書に不可能という文字はない――。フランス第一帝政期に皇帝の座を射止め、権力の頂点へとひた走ったナポレオン・ボナパルト。数々の戦功と武勇で名声を欲しいままにするが、失脚後はセントヘレナ島に幽閉され、わずか6年で生涯を閉じる。

 史上、これほどまでにカリスマ性を誇示しつつ、波乱万丈の生涯を送った人物は稀だろう。しかし、その死は謎に包まれ、今なお議論百出している。

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ナポレオンはなぜ死んだのか?

 ナポレオンは百日天下の後、ワーテルローの戦いで敗退。1815年、大西洋の孤島セントヘレナ島に流刑され、1821年に死亡した。数人の検死官が立会い、主治医フランセスコ・アントマルキが、死因は胃がんであると発表する。ちなみに、ナポレオンの父親も胃がんを患い、39歳で早生している。

 時は流れて1955年、ナポレオンの看護をしていたルイ・マルシャンの日記を、その子孫が公表した。日記にはヒ素中毒と思われる症状の記録が残されている。

 グラスゴー大学の法医学研究室は、ハミルトン・スミス博士の協力を得て、ナポレオンの遺髪を調査。当時の健常人の毛髪中のヒ素濃度0.08 ppmに対して、ナポレオンの遺髪から2.8〜51.2 ppmという高濃度のヒ素を検出し、ヒ素毒殺説が浮上する。

 1961年、スウェーデンのフォルシュフード医師は『ナポレオンは毒殺か?』を出版。1994年、モンペリエ教授は、マルシャンの日記に綴られているナポレオンの末期の症状は、ヒ素中毒と発表する。

ヒ素毒殺なら、真犯人は誰?

 ナポレオンがヒ素で殺されたのなら、真犯人は流刑地のセントヘレナ島にいた誰かのはずだ。ナポレオンに同行して島へ行ったのは、モントロン伯爵と妻アルビーヌ、ベルトラン伯爵と妻ファニー、カーズ侯爵、グールゴ男爵、召使ルイ・マルシャン、オメアラ医師、アントマルキ医師だ。

 ナポレオンは、1820年の秋頃から体調を崩し、胃の上部痛と食欲不振、嘔吐、横隔膜の痙攣、乏尿、嗜眠、発熱、下痢、便秘、腹部の痙攣、過度の衰弱、強い発汗などを次々と訴えた。翌年5月3日、通常の5倍ものカロメル(下剤や腸の消毒剤)64.8gをナポレオンに投与。5~6時間後、腸出血が起き、黒い吐物とタール状の便を排出。強い発汗と頻脈もあった。5月5日午後5時49分に他界、享年51歳だった。

 ヒ素毒殺説で犯人に名指しされたのは、部下のモントロン伯爵だ。動機は何か? ナポレオンの遺産狙い、妻がナポレオンの愛人になったことへの嫉妬や怨恨、後のフランス国王シャルル10世の密命を受けての凶行など、諸説がある。

 モントロン伯爵は、ナポレオン邸でヒ素を使ったネズミ退治の仕事に携わっていたため、ヒ素の入手は容易だった。ナポレオンは根っからのワイン好きだったが、モントロン伯爵は邸の酒蔵庫の管理を一任され、ワインにヒ素を混入することも可能だった。

 しかし、ヒ素毒殺説は異論が多い。

 ヒ素は土壌や水中などに広く存在する元素だ。火山活動、森林火災、鉱物の風化などの自然現象のほか、火力発電、金属精錬、廃棄物の処理などによって環境中に放出されるため、飲料水や食品は微量のヒ素を含む。そのため、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌやモントロン伯爵夫人などの遺髪からも、高濃度のヒ素が検出された。服毒によるヒ素中毒なら、皮膚の色素沈着や角化症を発症するが、ナポレオンには、それがまったく見られない。

ナポレオンは生前からヒ素中毒だった

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