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【シリーズ「あの人はなぜ死に急いだのか?スターたちの死の真相!」第3回】

飯島愛の死因、怪死の真相は?「トマトジュースのような尿が出る」と芸能界を引退

画像は飯島愛OTAKARA写真館―ありがとう永遠の女神 (鹿砦社)

 2008年12月24日午後3時15分ごろ、飯島愛は、東京都渋谷区桜丘町の渋谷インフォスタワーの自室で昏倒。たまたま訪れた知人女性に発見され、119番通報が入る。

 捜査に当たった警視庁渋谷警察署は、死後およそ1週間が経過していることから、死亡推定日は12月17日前後と判定。享年36。遺書、書き置きはない(「asahi.com」2008年12月24日)。

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 2009年2月4日、渋谷警察署は、東京都監察医務院が行った行政解剖と病理検査の結果、死因は肺炎と発表(「サンケイスポーツ」2009年2月4日)。

 急死の2年前の2007年3月、「トマトジュースのような尿が出る」と体調不良を訴えて芸能界を引退したものの、死亡直前までイベントに出演、復帰の報道も流れる。

 急死の翌2009年2月6日『中居正広の金曜日のスマたちへ』300回記念スペシャルで、追悼特集を放送。中居、ベッキー、大竹しのぶらがお別れメッセージを読んだ。2009年3月1日、本葬が東京プリンスホテルで執り行われ、約1500人が参列する。戒名は寛愛翠松大姉。

エイズや睡眠薬中毒などの憶測が怪死の謎を深めるが……

 2008年8月から死の1ヶ月前の11月まで、飯島の主治医だった赤枝六本木診療所産婦人科の赤枝恒雄院長は、飯島の最後の状況にコメントを残している(「Excite News」2009年4月2日/「女性自身」2010年12月14日号)。

 記事によれば、飯島は、赤枝六本木診療所の2階に居住。いつも精神的に追い詰められていたが、しっかりと生きなければと奮起していた。

 赤枝院長は、エイズ(後天性免疫不全症候群)感染の疑惑があったため、3回にわたって血清抗体検査などを行ったが、いずれも陰性だったとのこと。

 また飯島は、睡眠薬を常用していたものの、死因は、睡眠薬のオーバードーズ(過剰摂取)ではなく、何か避けがたい突発的な不慮の事故とされる。夜中に真っ暗なエレベーターの隅で膝を抱えてうずくまる姿も目撃される。

 飯島が「てめぇバカャロウ!」という耳鳴りに怯えていたため、赤枝院長は、神経科(心療内科)を紹介したが、完治しなかった。

 赤枝院長が飯島に最後に会ったのは、遺体が発見される9日前の12月15日。午前1時ごろに突然、診療所をノック。3~4時間は放心状態で座っていたが、朝4~5時頃に「うん、もう大丈夫。大丈夫だから…」と言い残して帰っている。

 渋谷警察署の推定や赤枝院長のコメントが正しいとすれば、飯島は、15日から数日内に死亡した公算が高い。飯島の不審な行動をどう見るかだが、うつに伴う精神錯乱状態だったかもしれない。

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