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【シリーズ「病名だけが知っている脳科学の謎と不思議」第17回】

「脈なし病」と呼ばれる「高安病(高安動脈炎)」は日本人の罹患数が推定およそ5000人!

高安病(高安動脈炎)を発見した高安右人(写真はWikipediaより)

 「高安病」は、高安右人(たかやす みきと)という眼科医師が初めて発見した難病だ。

 1860(万延元)年7月19日、 高安は肥前国小城郡西多久村(佐賀県多久市)に生誕。折しも幕末。驚天動地の倒幕劇から明治の御一新にすり替わった渦中で少年期を送る。江戸末期まで統治していた肥前鍋島藩の鎖国政策の煽りを受け、明治に入っても絶対的服従と禁欲の気風は根強く残っていた。

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 異風者(いひゅうもん)、風狂者(ふうけもん)。そう変わり者呼ばわりされても、質素堅実に徹するだけの融通のなさ。男は男らしゅう、女は女らしゅうの男尊女卑の偏見。閉鎖的・保守的な気風はなかなか抜け切らない。

 そんな郷土の因習を嫌った高安は、医学で身を立てようと一身発起して上京。苦学して帝国大学(東京大学)医学部を巣立ち、医学部教授にも着任。 41歳の1901(明治34)年、ドイツ留学から帰国後、金沢医学専門学校の眼科部長や校長にも就く。

 1903(明治36)年、43歳。論文『角膜の老入性変性について』で医学博士の学位を取得。その翌年、日露戦争が勃発。陸軍病院に溢れる夥しい戦傷者の治療に明け暮れる。やがて戦勝に沸く提灯行列が赤々と巷を埋め尽くした。

 48歳を迎えた1908(明治41)年、大転機が来る。第12回日本眼科学会の壇上に立ち、高安病の難症例を究明した論文『稀有なる網膜中心血管の変化』『特発性の角膜脂肪変性について』を発表、一躍注目される。

なぜ「脈なし病」なのか?

 高安病(高安動脈炎)は、どのような疾患だろう?

 病理学的には大動脈や大動脈から分岐した血管に炎症が生じ、血管が狭窄・閉塞するため、脳、心臓、腎臓などの機能が阻害され、原因不明の血管炎が続く自己免疫疾患、それが高安病だ。

 厚生労働省の特定疾患に指定され、脈拍の消失・減衰を伴うことから、「脈なし病」とも呼ばれる。原因は未解明。何らかのウイルス抗原に免疫応答したT細胞が動脈壁内に浸潤し、血管炎が誘発すると考えられる。

 日本、インド、中国などの発症が多い。日本人の罹患数は推定およそ5000人。厚生労働省の統計では、毎年およそ200名が新たに発症する。女性は男性のほぼ10倍。20代が最も多く、30代や40代も少なくない。10歳未満の発症もある。

 症状は、発熱、倦怠感、関節痛、筋肉痛をはじめ、眩暈(めまい)、頭痛、失神、高血圧、聴力障害、視力障害、血圧の左右差、脈拍雑音などを示す。弁膜症、腎不全、脳出血などを合併すると危険だ。

 高安が病態を見つけた頃は、検査法も治療法も遅れていたが、最近は長足の進歩を遂げている。たとえば、血管造影カテーテルを動脈内に挿入し、血管炎症マーカーのペントラキシン3を使う検査法もある。

 治療は、炎症を抑えるためにプレドニゾロンなどの副腎皮質ステロイドを投与する。副作用のためステロイドが使えない時は、シクロスポリン、シクロフォスファミド、メソトレキセートなどの免疫抑制剤も処方する。血管狭窄には抗血小板薬や血管拡張薬、高血圧には降圧薬の投与などの対症療法を行われる。

 サイズの大きなステントの開発も進み、狭窄の強い大血管への血管内治療も可能になった。虚血症状があれば、外科的にバイパス術などの血行再建術を行う。5年生存率は約90%、10年生存率は約80%と予後は良好。死因は弁膜症から誘発した心不全、腎不全、高血圧、脳出血が多い。

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