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【シリーズ「病名だけが知っている脳科学の謎と不思議」第14回】

「川崎病」は年間約1万5000人が発症!「子どもの心筋梗塞」ともいわれる川崎病の症状・原因は?

川崎富作医師(川崎病支援研究所HPより

「川崎病」と聞けば、川崎市に発生した大気汚染公害を想い浮かべる人もあるだろうか?この病気は、生後6カ月~4歳以下の乳幼児を中心に発症する全身の急性熱性疾患だ。小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(MCLS)とも呼ばれる。

 病名ぐらいは知っていても病名にちなむ「川崎富作(とみさく)」の名前を知っている人は少ないかもしれない。
 
 川崎富作は、1925(大正14)年2月7日、東京浅草六区に生まれる。26歳で千葉医科大学附属医学専門部を卒業後、日本赤十字社医療センター小児科に勤務。32歳で医学博士の学位を取得。1961(昭和36)年、36歳の時、乳幼児の冠状動脈に動脈瘤が見られる異常な病態を初めて発見。川崎は、いたいけな乳幼児の命を無惨にも奪う難病に立ち向かおうと固く決意する。

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 1967(昭和42)年、42歳。アレルギー学術誌に『指趾の特異的落屑(らくせつ)を伴う小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(MCLS)』の50症例を日本小児科学会に発表。以来、川崎病の病名が定着する。

 その後、日本赤十字社医療センター小児科部長、厚生省川崎病研究班長に就任。53歳の時、世界保健機関(WHO)が公認。その翌年に『ネルソンの小児科学書』は川崎病を正式に収載。バルセルナの国際小児科学会で世界初の川崎病のシンポジウムが開かれ、大喝采を受ける。

 以後、「川崎病の発見とその疫学研究」の希代の功績が認知され、北里賞、武田医学賞を皮切りに、日本医師会医学賞、朝日賞、日本学士院賞、東京都文化賞、日本小児科学会賞などを次々と受賞する。

 75歳で日本赤十字社医療センターを退職後、NPO法人日本川崎病研究センターを設立。久留米大学客員教授に着任。2010(平成22)年、東京都名誉都民にも選ばれる。

 現在91歳。川崎病の子供をもつ親の会を支援したり、日本川崎病研究センターに詰め、川崎病患者や家族からの電話相談に気軽に応じる現役バリバリの小児科医師だ。

川崎病は「子どもの心筋梗塞」

 川崎が発見した川崎病は、特に日本人に多く、年間約1万5000人が発症。日系アメリカ人、韓国人も多く、欧米人は少ない。発症年齢は4歳以下が80%以上、特に6ヶ月~1歳に集中する。男女比は1.3~1.5:1でやや男子が多い。患者の2~3%は再発する場合がある。致死率は2000人に1人(約0.05%)とされる。

 15日以上続く38℃の高熱、両側眼球結膜の充血、口唇の紅潮、咽頭粘膜の発赤、不定形の発疹、四肢末端の変化、頚部リンパ節の膨張などの症状を伴う。熱が下がっても、手足の指先から皮膚がむける膜様落屑(まくようらくせつ)があるのが特徴だ。

 根本原因は未解明だが、ウイルス感染や細菌感染に対する過剰な免疫応答によって、全身の中小の血管壁に炎症が生じるのが主因とされる。親子、兄弟・姉妹の発症が多いため、遺伝的要因が関与するとも言われる。

 ほとんどは自然に快癒するが、治療を受けず放置すれば、20~25%の確率で冠状動脈瘤が生じるため、急性心筋梗塞を合併して突然死することもあるので怖い。このため、“子どもの心筋梗塞”と恐れられる。

 治療は早期に炎症を抑えて合併症の発生を防ぐのがポイントだ。1980年代後半頃からガンマグロブリン大量静注療法が導入されたので、合併症の発生率は約5%以下に抑えられている。

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