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【シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第18回】

発症率100万人に1.5人 オードリー・ヘプバーンを襲った「腹膜偽粘液腫」とは?

オードリー・ヘプバーンは1993年1月20日に死去(写真は映画『ローマの休日』より)

 オードリー・ヘプバーンは、1929(昭和4)年5月4日、ブリュッセルのイクセルで生まれた。5歳でイギリスの寄宿学校に入学。両親は離婚し、父と離別。10歳の時、祖父の住むオランダ、アムステルダムへ移住。6年間、ソニア・ガスケルの特訓が実り、バレリーナになる。

 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツのオランダ占領に抵抗する運動に参加。資金集めのためにバレエを踊る。だが、叔父や従兄弟は銃殺刑、異父兄弟は強制収容所送りに。オードリーは栄養失調に襲われる。

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 終戦後、オードリーは、母とロンドンに移住。生活のために映画、テレビ、舞台の端役の仕事をこなすが、フランスの女性作家のシドニー・ガブリエル・コレットに見出され、ブロードウェイ上演作品『ジジ』の主役になる。1953年、24歳の時、『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を射止める。

 「女優の道に進んだのは偶然。無名で自信も経験もなく、痩せっぽち。全身全霊で打ち込んだ。チャンスはたびたび巡って来ない。だから、巡って来たら、ぎゅっと掴まないと。でも、私のような顔が写真に載るなんて思いもしなかったわ!」
 
 結婚の破綻、夫の死別……。挫折も波乱もあった。1989(平成元)年、女優を引退。ユニセフ親善大使になり、ソマリアで難民救済活動に情熱を注ぐ。死去する4カ月前の1992年9月も、悲惨な状況にあったソマリアを訪問した。

 「政治家たちは子どもたちに無関心だが、いつか政治が人道化する日が来るはず。ユニセフがもたらした水という奇跡を見た。何百年も水を汲むために少女や女性たちが何マイルも歩いたのに、今は家のすぐそばに綺麗な水が出る。綺麗な水は、子どもたちの生命そのもの。ユニセフという文字を目にした時、子どもたちの顔がパッと明るくなる。スーダンでは、水を汲み上げるポンプは、ユニセフと呼ばれている」

100万人に1.5人しか発症しない稀少がん「腹膜偽粘液腫」に

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