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【DNA鑑定秘話 第20回】

女児殺人の「島田事件」は疑わしい法医鑑定を根拠に死刑判決

島田事件は死刑判決から29年8カ月後に無罪が確定(shutterstock.com)

 1954(昭和29)年1月、地下鉄丸の内線、池袋・御茶ノ水間が開通。2月、マリリン・モンローと夫・ジョー・ディマジオが来日、モンローウォーク、グラマーガールがブームに。 シャープ兄弟と力道山・木村のタッグマッチを初挙行、プロレス人気が沸騰する。テレビ受信契約1万台突破。3月、ビキニの水爆実験で第五福竜丸が被爆、乗組員全員が原爆症に認定……。年明けから春先にかけて、マスコミを騒がせる内外のニュースに、世間は耳目を奪われていた。

 箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川。箱根馬子唄に唄われた清流・大井川が貫く静岡県島田市。かつての東海道指折りの宿場町を揺るがす凄惨な殺人事件が突如、起きる。

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 3月10日、快林寺の境内にある幼稚園で、卒業記念の行事中に6歳の女児が行方不明になる。ただちに島田警察署は、目撃情報の収集、聞き込み、山狩りなどの大捜索網を敷く。3日後の13日、榛原郡初倉村(現・島田市)の山林で、強姦された女児の無惨な遺体が発見される。

 5月24日、静岡県警は、岐阜県稲葉郡鵜沼町(現・各務原市)で、捜査線上に上がった精神病歴者や知的障害者のうち、所在不明で事情聴取していなかった赤堀政夫さん(25歳)を職務質問。当時の赤堀さんは、放浪生活をしていたが、島田警察署は正当な理由なく身柄を拘束・連行した。

 赤堀さんは、1月に島田市内で犯した些細な窃盗を自供。5月28日、警察は、窃盗罪で別件逮捕。6月1日、女児強姦致死・殺人の容疑で再逮捕。密室の取調室で長時間の尋問・暴行。「女児を誘拐・強姦し、性器に傷害を負わせ、胸部を拳サイズの石で殴打した後、絞殺した」という虚偽の供述調書を作成し、報道機関に公表。赤堀さんは起訴された。

 事件から6年余り。1960(昭和35)年12月、最高裁が死刑判決。以来、赤堀さんは、死刑執行の恐怖と向き合いながら、1986(昭和61)年に始まる第4次に及ぶ再審請求で、一貫して無実を訴え続けた。弁護活動や支援団体の請願が結実し、1989(昭和64)年1月、静岡地裁でついに再審無罪判決を勝ち取る。実に逮捕から34年8ヶ月、死刑判決の確定から29年8ヶ月。赤堀さんは還暦を迎えていた。

疑わしい法医鑑定の妄信、検察庁の証拠隠匿!

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